あやや缶

松浦亜弥さんの思い出を語るブログです

ZYX「白いTOKYO」

ジャニーズ事務所が問題になっております。そもそも、タレントを大切に扱っていなかったのであれば、こんな事務所なんて潰れてしまえという心境になると思うのですが、どうでしょうか。全てではないと思いますが、ジャニオタさんたちは、事務所の存続を願っている感じがします。ジャニーズのファンは、ほとんど男性はいないと思うので、このあたりは性別の違いで考えが変わるのかも知れません。若しくは、男性タレントと女性タレントの違いも場合によってはあると思います。

 

実際のところ、利害関係なのでしょうね。利害関係があるからこそ、忖度も生じるわけです。ファンの立場だと、タレントを応援し続けたいから、ジャニーズが無くなるのは困るのでしょう。ジャニーズは力を持ち過ぎました。ボスと同様に、そのまわりの方々も傲慢になった気がします。Mステなどあややの旦那を外へ追い出し、諸々忖度し、各方面から持ち上げられ巨大化した結果、今の崩れ方が大きく強調されてしまうのです。

 

20年ぐらい前の東日本地域は、プロ野球中継のほとんどが東京読売巨人軍戦で、それによりテレビ局はアンチ巨人ファンも多く作り出したわけです。昔のハロオタであれば、2001年の「モー。たいへんでした」の放送が巨人戦でかなり削られたのをご存じかと思います。今は状況が変わり、地上波の巨人戦はオワコンになりました。独占する集団は多くのアンチを作り出し、干される運命なのでしょう。ジャニーズもテレビに出すぎて、外野には嫌われる要因を作ってきたと思います。

 

企業として傲慢だったために、危険予知を怠り、この様になったわけです。9月7日の記者会見で収拾がつかなかった事は、無策を証明しているようなものです。一般的には、反社会的な組織は排除したくなるのが心情なので、利害関係により、手のひら返しもひとつの手段だと思います。気に入らなければ、ファンだって推し変しますから。

 

タレントに罪は無いという話もあるようですが、事務所に罪はあると思います。居酒屋トークレベルでボスの変態行為の話は以前から出回っていたので、事務所関係者が知らないはずがないでしょう。ジャニーズのタレントがキャスターとして出演している報道番組では、ボスの話はスルーされる事が多く、視聴者の怒りが生じたわけです。視聴者の半分以上がジャニオタさんでなければ、忖度の方向が間違っているわけで、とぼけたら炎上する事ぐらい、まともな企業であれば容易に想定出来たものと察します。よって、ジャニオタさんが事務所の存続を願うのであれば、今後の対応を、無策の事務所にご指導された方が良いかと存じます。経営学に長けている方もいらっしゃるでしょう。世間の風向きを変えるのは難しいし、私のような居酒屋トークレベルの知識よりも、ジャニーズ事務所の事は仔細にご存じのはずですから、ジャニーズを救うのはファンの役目だと感じます。

 

それこそ、他の芸能事務所に好機が訪れたわけです。傍観せずに各企業に営業を仕掛けている時ではないでしょうか。椅子取りゲームが始まっているはずです。ジャニーズのおこぼれを他の男性タレントが獲得すると反感を買いそうなので、しれっと女性タレントを起用する手段があると思います。とりあえずここはハロプロが頑張らないと。それが商売だと思います。

 

恥ずかしながら白状しますが、生まれも育ちも東京であるため、見事にテレビ局に洗脳されたのか、東京読売巨人軍のファンでありました。東北楽天ゴールデンイーグルスの発足に伴い、ハロプロが同球団を応援した際、私も同球団のファンに移行した次第です。このあたりは何の節操も無く、しれっと推し変できるものです。子供のころからの洗脳が解けたわけですが、別の視点からすると可愛い女の子を追いかけた末がこれかと言われれば、ぐうの音も出ません。創設当時は、ほとんどの選手が各球団のレギュラーから外れた寄せ集めで、弱小球団から始まったわけですが、2013年の日本シリーズは巨人と対決し日本一まで勝ち取ったので、それはもう最高でしたよ。イチから作った集団を応援するのも面白かったわけです。

 

さて、本題の入ります。2003年12月10日リリースの「白いTOKYO」です。この曲、ピチチがいるせいか、かなり好きです。「ZYX」は同年8月6日「行くZYX! FLY HIGH」でデビュー、メンバーは矢口真里さん、梅田えりかさん、清水佐紀さん、矢島舞美さん、嗣永桃子さん、村上愛さんです。この顔ぶれを見ると、最早この6人が再会する事はないのでしょう。全員東京生まれではないのですが、神奈川県、埼玉県、千葉県(あいうえお順で表記・忖度はありません)の首都圏出身のメンバー構成です。2002年7月31日のハロマゲドンで、ミニモニ。のメンバーリニューアルのため、矢口真里さんが抜け高橋愛さんが加入、矢口さんはハロプロキッズとユニットを組むと発表され、やっと1年後に実現したわけです。

 

2003年10月29日に「あぁ!」の「FIRST KISS」がリリースし、こちらはモーニングの田中れいなさんと、ハロプロキッズ夏焼雅さんと鈴木愛理さんが入り、キッズの子たちも活躍する場が出てきた時期です。キッズは2004年1月にBerryz工房が、2005年6月に℃-uteが発足したので「ZYX」と「あぁ!」は活動停止という扱いだと思います。こんな感じで、ハロマゲドンはただの思い付きで、結果的には直ぐに破綻した企画が多かったと思ってよいでしょう。

 

ZYXの正規メンバーでのハロコンの披露は、2003年夏ハロの「行くZYX! FLY HIGH」と、2004年冬ハロの「白いTOKYO」のみです。2006年冬ハロ横浜アリーナ公演で「白いTOKYO」の披露がありましたが、これは矢口真里さんが抜けている状態です。

 

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ハロプロでは「白いTOKYO」が名曲としての位置付けで、現在でも歌い継がれているようです。先日の代々木体育館では、9月9日の土曜日の部で「BEYOOOOONDS」の「雨ノ森 川海」のメンバーで披露されております。この曲の思い出としては、なかなか体験することが少なく、やはり2004年正月ハローの中野サンプラザですね。近くでピチチ見られて良かったです。